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「1962年9月 デザイン学校に入学」

ミュンヘン市の東、学生街のギゼラ道りにあった「Grafik Studio Burke」に9月から通い始めました。街の西のはずれに住んでいた私は家を出てまずニンフェンブルグ城の疎水沿いの道を通り、戦火を免れた住宅地を抜けPasing駅まで歩いて約15分、そこから汽車に乗りミュンヘン中央駅まで15分、路面電車トラムに乗り換え市内の繁華街を抜け15分程のギゼラ通りの停車場で降りたら学校までは徒歩3分。乗り継ぎや待ち時間を入れると毎日の通学時間は片道1時間半。すこし学校生活に慣れてからはニンフェンブルグのお城の裏口の小さな木戸から入り庭を抜け植物園の脇を走りぬけ、市内の自転車専用道路を使い通学するようにしました。所要時間は半分に短縮されましたが慣れるまでは自転車を降りてから暫くは手が震え絵筆が持てませんでした。

その学校は19世紀の中頃に建った3階建ての2階にありました。ミュンヘン市内の多くの建物が爆撃に合った中この建物のある一角は被災しておらず、戦前までは各階にそれぞれ1家族が住んでいた普通の家。廊下を挟んで三つの教室と元バスルームだったと思われる校長室、そして元物置だった小さな事務所、1年、2年、3年、生徒数40人にトイレは一つ。真っ白な漆喰の壁の天井は高く隅々には飾りが施され、ドアも大きな木製、何回も塗り重ねられた白い窓枠、廊下は寄木、窓の外にはポプラの街路樹、道路は石畳、、、、その後1970年代終わりに校長が亡くなり残念ながら学校も廃校となりこの家も取り壊されてしまいました。

一年生の私のクラスには男子5人、女子9人の14人。年齢は私が一番年下の16歳、そして一番上は27歳のPeter、彼の父親は現役のオペラ歌手、父親とそっくりな低音で話す身長1.95m、体重100kgの大きな「おじさん」。私の次に若かったのは17歳のElisabeth。ドイツ最大の菓子メーカーの息子とその家のポーランド人の女中さんとの間に生まれた女の子。金曜日の夕方には制服を着た運転手が黒いベンツで迎いに来て、月曜の朝まではその会社の会長である祖父の田舎の広大なお屋敷で使用人にかしずかれお嬢様暮らし、月曜から木曜の夜までの4泊は彼女を出産後ポーランド人の労働者と結婚したお母さん家族が暮らすミュンヘン市内の小さなアパートで過ごし、夏休みはスウェーデンの父親の別荘で過ごすと言う両極端な暮らし。

その他インターフェロンを開発した医薬品会社の18歳の社長令嬢Dagmaや故国ハンガリーの動乱で南米ベネズエラに移住したKatti。2年上のクラスにはその後リヒテンシュタインの皇太子と結婚した伯爵令嬢のMarie、夜はレストランでアルバイトをしていたギリシャの苦学生Andeas、夕方から工場で働いていたドイツ人Florian、その他オランダ、ノールウェー、スウェーデンそして日本と国籍、年齢の異なるいろいろな階層の若者が通う不思議な学校でした。

初日、学校で必要なものをElisabethに付き添ってもらい市内の画材屋さんで買い揃え、いよいよドイツでの学校生活が始まりました。学校が始まってすぐは週に一回は動物園、美術館や公園での写生の授業、そして夜は裸体デッサンクラス、何もかもが楽しく学校生活を謳歌し少しずつドイツ生活に慣れてきました。しかし7月末から来ていた父の病気が悪化、9月中頃には入院をしてしまいました。ミュンヘンでの手術と言う事も考えたようですが「学校に通い始めた美和への負担を考えるとやはり帰国すると決断」と後に読んだ父の日記に記されており結局9月末に父は帰国。ミュンヘンの飛行場での別れが最後となり2か月後の11月23日、父は日本で亡くなりました。その知らせが届いた日ミュンヘンは大雪。

1962年のドイツは何十年ぶりかの大寒波でライン川やエルベ川が凍り船舶による輸送ができなくなり石炭が不足したりと市民生活は何かと不便だったようですが、家の前のお城からの疎水も厚い氷に覆われ多くの人が夜遅くまで照明をつけ極寒の中カーリングを楽しんでいました。

11月に入ると雲は低くどんよりと重たく垂れ込め、9時頃ぼんやりと昇って来た太陽は夕方早々に沈み、長くて暗くて寒い冬がやって来ます。暗いうちに家を出て学校を出る頃はすでに真っ暗、、、、、、、でも初めて迎えたドイツでのクリスマスは「絵に描いたようなホワイトクリスマス」でした。(つづく)

「私の2年生の時の学生証」

名取 美和 | 2011/11/15(火)

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