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サモアの酋長のお話


0326-01.jpg 今日受信したバンコク在住ウェルネスセンター谷田貝さんのブログに、20世紀初頭に欧州を訪れたサモアの酋長の文明批判の文章が載っていました。

 「腹いっぱい食べ、頭の上に屋根を持ち、村の広場で祭りを楽しむために、神様は私たちに働けとおっしゃる。だがそれ以上になぜ働かねばならないのか。」(「パパラギ 初めて文明を見た南海の酋長ツイアビの演説集」から)
 
 確かに、、、しかし、、、ここまで消費文明が進んだ今、20世紀初頭の南海の楽園の生活をする事は難しいことだと思いますが、バーンロムサイのスタッフや身近なタイ人を見ていると、日本人よりは数段と20世紀初頭の南海の楽園に近い生活をしています。

 「腹いっぱい食べ」= 近くに住んでいた縫製場のスタッフは家に帰る間の500メートルの間に晩の食材がそろうと言っていました。何が食べたいのではなく、与えられたものあるものを食べる。
 「頭の上に屋根を持ち」= 4本の柱にチークの葉っぱの屋根を葺き、竹の床と壁を作れば住まいとなります。まだまだこのような家はこの村にもあるし、山岳民族の村を訪ねると身の回りにある自然の材料を使ったこのような家がほとんどです。
  「村の広場で祭りを楽しむため」= 週末になるとどこからか音楽が聞こえてきます。残念ながらこの十数年はKARAOKEなるものが幅を利かせ大音響で歌う人たちが増えてしまいましたが、い まだに4月のソンクラーンと11月のロイクラトーンがタイ人にとっての「祭り」。この二つのお祭りには実家に帰り、みんなで祝う。

 大工 さんたちを見ていると、裏の貯水池で網を投げ小エビを捕り、昼食のナンプリックを作り、もち米と食べています。蛙や蛇を捕まえ、蟻の子をとり、孵化したて の蝉も食され、どの植物が食べられるのか、またどの植物が何に効くのかを知り、降った雨を貯め、糞尿は肥料となる、壊れたものは直し、衣類は汚く穴があき 着られなくなったら、まずは足ふきマットになり、そのあとはどこかにあいた穴を詰めるのに使われる。1998年バーンロムサイ開園前に寄付していただいた MAZDAのピックアップは22歳、今では大工さんたちが使っていますがあそこを直し、ここを直しいまだに立派に役立っています。町のそこここに修理屋さ んがあり、先日も私の音の出なくなったテレビを50バーツ(150円)で直してもらいました。修理屋さんに置いてある品々は1950年代60年代の物と思 えるものがたくさんありました。

 「パパラギ(=欧米人のこと)は自分の仕事について話すとき、まるで重荷におさえつけられたようにため 息をつく。だがサモアの若者たちは歌いながらタロ芋畑へいそぎ、娘たちも歌いながら流れる小川で腰布を洗う。(中略)大いなる心(=神様のこと)は、私た ちがすべての行ないを、誇り高く、正しく行なうことを、そしていつも喜びの目と、しなやかな手足を持った人間であることを望まれるのだ。」サモアの酋長ツ イアビの言葉です。

 大工のチャイさんの仕事中の鼻歌、掃除をしてくれていたリス族のアニーは楽しそうに大きな声で歌を歌いながら働いて いました。ともかく仕事は「サバイ チャイ」気持ちよく働ける事、これが多くのタイ人にとって仕事をする際の一番の要素。給料が良くても社会保障や健康保 険がしっかりしていても、気持ちよく働けない職場だと辞めてしまう人が多くいます。

 東京では多くの人たちが毎日満員電車や遠距離通勤を し、残業や単身赴任も多く、会社の利益の大半は経営者や会社の懐に入り、従業員に還元されない、、、辞めたくとも転職のための職業訓練の場も少ないし、そ もそもいつの時代からか何を勉強したいと考える前に、ともかく大学に入るのが普通の事となり、専門学校のシステムと専門学校卒業生の社会的地位がしっかり と確保されていないのが日本の現状。これらの事を考えるとやはり何としても小さい時からあれになりたい、その仕事がしたい、と考えられるような環境で子ど もたちが育たなければならないと痛感します。好きな仕事が楽しくできれば多少給料が安くとも納得できると思います。

 政界、財界、教育界、医療関係者、役人、これら大切な場で働いている人たちがもう少し誇り高く、正しいこと(正しいとまで言いませんが少なくともごまかさないで)を行ってくれたらいろいろなことが改善されると思いますが、、、、

 タイも大きく変わりつつあります。そう考えるとますますバーンロムサイの子どもたち全員が何か得意なこと好きなことを仕事とし、将来ここを巣立った後も楽しく生きていけたらいいのになぁと思ってしまいます。

名取 美和 |2009/03/15 (日)

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