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写真日記


1962年・夏

ミュンヘンで暮らしはじめて気づいたのは、同じ屋根の下に住む30代から70代の芸術家たちはみんな決して裕福ではないのに、自分たちのペースで実にゆったりと心地よさそうに暮らしていました。

散歩の途中で花を摘み、庭の花壇からの花と合わせ花器に投げ入れる。庭に果物が実ったらジャムやコンポート、ケーキを作る。生ごみはコンポストとなり庭の菜園や花壇に、、、その花壇の花を飾り、、、野菜は食卓に、、、ホイップクリームを添えたプルーンやリンゴのタルトは本当に美味しかった。

住人達が奏でるピアノやチェンバロの音と自分たちの生活音以外、余計な音がそこにはありませんでした。テレビはまだ誰の家にもなく、ラジオは何台かありましたが静かにニュースを聞くだけ、掃除機もうるさいと言う事で誰も使っておらず、芝刈り機も静かな手動式でカタカタと歯が回る音しかしません。お昼頃になると台所から聞こえてくる美味しそうなピシューッピシューッと言う圧力鍋の音、アトリエから聞こえてくるカッカッと石を削る彫刻家の鑿の音、、、、庭の鳥の声、静かでした。

大家の6歳の孫娘のおもちゃは彫刻家の曾祖父が作った「人形の家」や祖父の作った木彫りの動物や小さな人形、そして陶芸家である祖母の作った陶器のおままごとの道具。舞台美術家の部屋の役目を終えた数々のミニチュア舞台装置も彼女の遊び道具でした。

菜園の野菜やハーブのほとんどは初めて耳にする名前、初めて口にするものも多く、具合が悪い時に飲まされたカモミールやイラクサ、ミントなどのハーブティー。可愛い葉のディル、ローズマリーやサルバイは毎日何かの料理に使われていました。お昼御飯は必ず温かいお食事、そしてお魚の市が立つ金曜日は住人みんな無宗教でしたが必ずお昼はお魚料理。

普段飲むワインはお得な100本単位のまとめ買い。そして特別なワインは埃をかぶり棚に寝かされていました。ビールも月に一回配達され温度の低い地下室に保存され冷蔵庫には入れません。子ども用にはアルコール抜きの「子どもビール」と言うものもありました。じゃがいもも大きな袋で50キロと言った単位で農家から直接購入、庭でとれたリンゴと一緒に一年を通し地下室に保存されていました。

パンにチーズ、ソーセージと言った質素な食事なのですが、日の長い夏の夜、ワインを飲みながら庭のオークの木の下での夕食は忘れられません。みんなで集まり何かをするというのが苦手な人ばかりでしたが、この夏の夕暮れ、そして雪の降る夜の居間での住人の会話は多岐にわたり面白いものでした。それ以外の時間はそれぞれがマイペースで静かに制作しながら暮らしていました。

日々の生活も私にとっては目新しい事ばかり。牛乳は容器をもって近くの乳製品専門の店に買いに行き、バターもチーズもすべてグラム買い。初めて口にしたクリームチーズやバターミルク、穴のあいたエメンタール、カマンベールやブルーチーズ、、、床も壁もそして並ぶ商品も真っ白、お店のおばさんの着ている仕事着も真っ白。しかしこのような乳製品専門店はその後しばらくして姿を消してしまいました。

洗濯機などまだそれほど普及しておらず、曜日を決めてシーツやまくらカバーなどのリネン類の日を「白い物の日」とジーンズなどの「濃い色の衣類」、といった具合に分け、台所の大きなお鍋で洗濯物をゴトゴトと何時間も煮るのです。その日は台所中洗剤の匂い!そして干すのは屋根裏部屋。洗濯物を干すのは一軒家だと屋根裏、アパートは地下室、農家では洗濯物が庭に干してありましたが郊外の住宅地では目につかないところに干すと言う暗黙の了解があったようです。大きなシーツなどはアイロンをかけるのが大変なので半乾きの時に近くのアイロン屋に持って行き、お店の人と二人がかりで大きなローラーに入れ伸ばしてもらうのです。このアイロン屋はしばらくしたらコインランドリーになってしまいました。

扇風機もない夏の午後、水着の上にワンピースを羽織り、矢車草やケシの咲く野原を自転車で走り抜け、近くの湖に泳ぎに行きました。夢のような夏の日々でした。

大事に使えば何百年も使い続けることができるドイツの石造りの建物、そのような家で「質実剛健」と言えるミュンヘン生活が始まりました。今からもう半世紀も前の事です。(つづく)


ひ・る・ね・こ

  
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名取 美和|2011/06/27 (月)

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