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写真日記


「さようなら、ガンニガ」

ガンニガが10月2日バーンロムサイからバンコクの他の施設に移りました。

ガンニガは小さい時から普通の子とは少し違っていました。小さい時は本人もまた他の子どもにとっても、その「少しの違い」が大きな妨げにはならず一緒に暮らす事が出来たのですが、成長するにつれその「少しの違い」が本人にとってもまた周りの子どもたちにとっても一緒に暮らしづらい大きな問題になってきてしまいました。

2000年5月12日、ガンニガは他の3人の子どもと共にバンコクの国立孤児院からバーンロムサイにやってきました。よく笑う明るく元気な可愛い子でした。入園して2、3日は泣いて過ごす子が多い中、当日の写真日記には「修学旅行のノリで騒いでいる」「ガンニガは仕切りや姉さんで大きな声で迫力あり」とあります。

その後、時に自分の感情のコントロールが出来なくなってしまったり、物を覚えたくても覚えられない自分にいらだち、暴言を吐いたり暴れたりする事が成長すると共に増え、それらの「少しの違い」=「軽度な知的障害」を、他の子どもたちや保母たちに理解してほしいと何回も話をしましたが理解してもらう事は難しく、ガンニガはバーンロムサイの中で孤立し、みんなの輪から一人離れている事が多くなってしまいました。

「学習障害」が理由で特別学級に在籍させてもらい義務教育である中学は卒業しましたが、高校へ進学する事は出来ませんでした。一時はチェンマイ市内にある知的障害者のための自立支援団体「ヒーリングファミリー財団」に通わせていただいていました。そこでは朝9時から午後3時まで仲間と職業訓練として布を織ったり、踊りや歌と言った創作活動も取り入れられており、友だちと楽しい時間を過ごすことが出来たのですが、夕方バーンロムサイに戻るとまた一人ぼっち。その落差が大きすぎストレスとなり口では自分の思いを伝えられない分、手や足が出てしまい他の子たちを怯えさせてしまう事も度々あり、暴れ出すと大人でも彼女を落ち着かせることが難しく、何回か精神科に入院を余儀なくされた事もありました。ヒーリングファミリーや精神科では友達もでき楽しく過ごしていた事実を考えると、どこか彼女が劣等感を持たず、同じ「少しの違い」を持った仲間と共に暮らせる所はないものか昨年から探しはじめましたが、HIVに感染した彼女を受け入れてくれる施設が見つからず今日に至っておりました。

ガンニガは優しく、そして繊細な心の持ち主です。

小さな時、可愛い女の人やハンサムな男の人、綺麗な洋服やアクセサリーが大好きでした。そして空や花、ハートをモチーフに個性的な絵を沢山描いていましたし気が向くと何時間でも自己流のダンスを踊っていました。しかし成長するにつれ綺麗なものにも昔ほど関心を持たなくなり、ぼんやりとしている時間が増え、ストレスが「食べる事」に向かい体重も増加、身に着けるものに対しても無関心になってしまいました。しかしガンニガは読み書きもある程度できるし、物おじせずに誰とでも話が出来ます。ただし時間の観念が持てないのと、時計を読むことが出来ず、毎日2回一生飲み続けなくてはならない薬を自分で管理することは出来ませんでした。

いつも一人ぼっちで本人が幸せと感じられないとすれば、バーンロムサイは彼女にとって良い環境ではありません。ガンニガが楽しく劣等感を感じず仲間と暮らせる所はないものか、いろいろ手をつくし探しましたが見つからず困り果てていたところ、バンコクの隣のノンタブリ県にある「軽度知的障害施設」から受け入れ可能との連絡がありました。その施設のホームページを見たり調べたところ、まさにガンニガにとってはぴったりの環境。HIVの事、薬の事などすべて理解したうえで引き受けてくれると言う事でしたので、ここに行かせましょうと決めました。

しかし10月1日の朝、施設から突然「明日の午後4時までに来るように」との連絡がありました。それから大急ぎで麻生と二人でガンニガをデパートに連れてゆき必要なものを買い揃えました。チェンマイのビエンピン国立孤児院にいる、ガンニガより1つ年下の女の子も一緒にその施設に入園すると言う事も急遽決まり、翌日早朝バンコクに向けて出発のため、その晩はビエンピン孤児院に泊ることに。1日の夜7時、みんなに見送られ、あまりに急で寂しいと感じる時間もなく、アッと言う間にガンニガはバーンロムサイを去ってゆきました。

18歳のガンニガは新しい施設では最年長、年下の子の面倒を見、友達もでき、楽しく暮らせるといいなぁとスタッフと話をしていた所、入園から5日目にガンニガから「ここは楽しいの!」とウェウ先生へ電話があり、周りの子がうるさく騒いでおり電話が聞き取りにくかったようで「静かに!!しなさい!」とガンニガの大きな声が聞こえたそうです!小さな子どもたちを取りまとめ元気に暮らし始めているようです。

バーンロムサイに来たあの日の事を思い出しました。「ガンニガは仕切りや姉さんで大きな声で迫力あり」!

HIVに母子感染して生まれ、孤児となり、軽度の障害を持っている、それがガンニガです。変えようのない現実です。私たちが唯一彼女にしてあげられるのはガンニガが幸せと感じられる環境を作ってあげる事だけでした。努力はしましたがバーンロムサイが彼女にとって幸せと感じられない場所となってしまったとすれば、違う環境を探してあげるしかありません。

バーンロムサイはさみしくなりましたが、ガンニガが新しい施設で楽しく元気に暮らし幸せと感じてくれるのならそれでよいのです。ガンニガが去って1週間、今になって何かぽっかりと穴が開いたように寂しくなりました。それだけ存在感のある子でした。

いつの日かガンニガが助けを必要として時にはいつでも私たちはガンニガの為に手を差し伸べます。

2000年5月から11年4カ月と20日!バーンロムサイは少なくとも彼女の命を守ることが出来ました。それを可能にしたのは皆様からのご支援ご協力があったからこそ出来た事、心より感謝いたします。そして今いる施設がガンニガにとって心地よく暮らせる環境である事を心より願っています。

「いつまでも素直で元気なガンニガでいられますように!」

2000年5月12日入園当日-1.jpg
                                     入園当日

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                                      別れの日

名取 美和|2011/10/09 (日)

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