2009年5月8日(金) 名前:バーンロムサイ [2009/05/23,18:11:49] バーンロムサイのホームページが新しくなりました。新しいホームページはこちらからご覧になってください。新・写真日記はこちら。
2009年5月7日(水) 名前:伊藤 美和 [2009/05/08,12:32:35] 『チェンライの村の建設』昨日の絵里ちゃんの日記にもあるように、チェンライから帰ってきた子どもたちは、明らかに顔がいきいきとしていて、チェンライでお世話になった村の人の話や体験したことなどを、たくさん話してくれた。みんな真っ黒に日焼けしたキラキラした笑顔で、その瞳やオーラが全身で「楽しかった!」と伝えてくれていた。そしてその数日後、帰ってきた子どもたちと留守番組の子たち含めて工作をした。はじめはペットが大きな画用紙に、自分の家や友達の家などを上から眺めた俯瞰図を描き始めた。これは今回私が持ってきた絵本「ぶたぶたくんのおかいもの」の一番最後のページに、“おかいもの”の道順が書かれた俯瞰図をまねて書いたものだと思う。それがみんなの心にヒットしたのか、続いてタン、ニサー、パヌがまねをして地図を描いてとても楽しそう。そして懲り始めたタンがその地図の上に折り紙で作った立体の家や橋、木や道などを作りはじめた。そして一番すごい作品を作ったのが、ガノックとゴイのコンビ。二人で2枚の大きな画用紙を敷地にして、着々と小さなミニチュアの家や池、橋、病院、畑、などなど本当に可愛らしい村を創りあげていた。二人の作業時間はきっと5時間ぐらいはかかっているだろう。「これは(バーンロムサイのある)ナンプレー村?」と聞くと、「これはチェンライの村だよ。」と嬉しそうに答えるゴイ。忘れられない素敵な時間を過ごして、それが創るものにも出てきたんだな、いいなと思った。子どもたちが好きなことをしているときの集中力は、ものすごい。何度「ご飯だよ!」と言っても聞こえないくらいだ。それぞれが好きなことを見つけて、自分の力を信じて進んでいける子になるように、その子の向き不向き、夢中になっていること、これからも短い時間でも見逃さないようにしたい。
2009年5月6日(水) 名前:中出 絵里 [2009/05/07,19:24:31] 『おかえり!』2日の夕方にホームステイ先のチェンライから無事に帰ってきた子どもたち。久しぶりに会った子どもたちは毎日の外遊びで真っ黒に日焼けし、その姿にどれだけ太陽を浴びてどれだけおもいきり遊んでいたのかがわかるほどです。車を降りオフィス前を通り、縫製場へとやって来た子どもたち。ホームステイ先の家族からもらったお洋服やぬいぐるみでぱんぱんになったリュックを背負い、「楽しかった!」と声を揃えていました。「バーンロムサイが恋しかった?」と聞くと「恋しかったよ!」と答える素直な姿も、久し振りの再会と重なり普段よりも可愛さ倍増でした。久し振りに31名全員がそろったその晩には、全員でムーガタを食べました。何人かのグループに分かれ七厘を囲み、久し振りに賑やかな夕食の時間。それぞれのムーガタ鍋の中身を見ているとおもしろいもので、ビー・タン・オン・ボーイ・ベンの鍋はほとんどお肉ばかり、小さい子が多く人数も多いお鍋はお肉がなかなか回って来ず「お肉ちょうだい!」とペンが隣に催促、保母のティムさんのお鍋は落ちてきそうなほどお肉がこんもりとのせてあったり。ナットが火をおこした私たちの鍋は、ナット・シントー・ヌン・陽之助くん・私と、大人メンバーだったこともあり、最後までゆっくりと優雅な食事の時間でした。みんなとは少し遅れてきたテンモーは、ひとりでもくもくとお肉を焼き、もくもくと食べていました。ティムさんにも顔が丸くなった!と冷やかされていたテンモーは、「チェンライに行ってたくさん食べたから太っちゃった!」とケラケラと笑いながら話していました。たった2週間でしたが、見るからに顔がまんまるになって帰ってきたテンモー。その日も最後の最後まで食べていました。普段から顔を見れば「デブー!」と私を冷やかしてくる彼女ですが、チェンライから帰ってきてからは「テンモーもデブになったでしょ?」と言い返しながらふたりで笑っています。そういえばこんなに賑やかだったなぁ・・・と、初日はなんだか嬉しく、みんな一緒が一番!という気持ちもありましたが、数日たった今では、一向に減ることのない子どもたちのパワーに、大人たち全員が来週始まる学校が待ち遠しくてたまらなくなっています。
2009年5月5日(火) 名前:鈴木 寛人 [2009/05/07,11:34:59] 『手紙』 今日は何人かの子どもたちが切手を買いにオフィスへとやってきた。ホームステイでお世話になったチェンライのかたがたに手紙を出すのだそうだ。ホームの子どもたちは時々、日本にいる元ボランティアのポーやメーに手紙を書くことがある。ただ、そんなとき子どもたちがするのは手紙を書いて封筒に入れるところまで。後は大人たちが日本の住所を書き、郵便局へと持っていくことが多い。子どもたちが手紙を書いて、自分で宛名を書き、切手を貼るような機会はほとんどなかった。そのためか、切手を買いに来たガンニガは切手はどこにどうやって貼ればいいの?何バーツ分貼るの?などとわからないことばかり。昨日の麻生さんの日記にもあったタンの手紙の宛名は、住所を書く順番が間違っていたりした。ガンニガには保母のロットさんが切手を貼る位置や相手、自分の住所を書く位置などを丁寧に説明していたが、2人に限らず正しい手紙の出し方を知っている子は少ないかもしれない。今回は正しい手紙の書き方を覚えるよい機会になりそうだ。これからは日本への手紙の宛名などもローマ字で自分たちで書かせるようにしようと思う。『バイクの補助椅子』 ここ数年、車の数がとても多くなってきたチェンマイ。走っている車の種類も、1台に何人も乗れるピックアップトラックが多かった数年前と変わって、セダンタイプのものが増えてきた。とはいってもまだまだ一家に一台といったところまではいかず、バイクを利用する人たちはとても多い。1台のバイクに3人乗り、4人乗りという光景もよく目にする。そんなタイだからか、ここでは日本では見たことのなかった子ども用のバイクの補助椅子が売られている。その補助椅子はハンドルとシートの間に設置するようになっていて、使用しないときは折りたたんでおくこともできる。先日、娘用にその補助椅子を買ったのだが、なかなか快適なようだ。車が増えてきたチェンマイだが、まだまだバイクの活躍は続くだろう。
2009年5月4日(月) 名前:麻生 賀津子 [2009/05/04,23:30:29] 『タンの初恋?』 2日、チェンライでのホームステイから子どもたちが戻ってきました。川で魚やカニ、海老を捕る手伝いをしたり、お米の収穫を手伝ったり、自転車で村の中を走り回ったり・・、みんな真っ黒になってとても元気です。車が着いた途端にホームの中はいっぺんに賑やかになり、久しぶりに会うお兄さんやお姉さんに留守番をしていた小さな子どもたちは抱きついていました。 ホームステイ最後の夜、村の人たちとのお別れ会、プロイはやはりおお泣き!ガノックとビーも泣いたそうで、お世話になった村のお父さん、お母さん、そして友だちと次のお休みでの再会を約束して帰って来たのですが、みんな村の人たちが恋しく、無事着いたことを報告する電話を私も僕もとさっそくかけていました。 途中に何度も行き来をしているスタッフのエー君から「タンに好きな人が出来て、早朝自転車で出かけ、彼女の顔をこっそり見てから戻って朝ごはんを食べ、それをひやかすと全身真っ赤になるんだよ!」と事前に聞いていました。そして帰って来たタンが抱きついて来て真っ先に見せてくれたのは、端正な顔立ちの女の子の小さなモノクロ写真。「タンの恋人?」と聞くと「違うよう!ただ好きなだけ。でも写真をもらったんだ・・」といつものようにちょっと顔を歪めて照れ笑い。今日ウェウ先生から話を聞くと、タンより2つ年上の13歳、どうも「好きです!」と率直に言った彼に、フォンちゃんというその彼女は「もう恋人が居るから弟のようにタンのことを想っている」と答えたとのこと。その答えに素直に納得したタンですが、彼にとっては「好き」という気持ちに変わりはなく、早速昨日手紙を書いていました。いつもまっすぐなタン。憧れに近い、タンにとっては大切な初恋なのかもしれません。そして今日はフォンちゃんの写真と一緒に彼女の書いてくれた住所や電話番号のクチャクチャになったメモも大事にお財布の中にしまわれていました。 来週は子どもたちからの報告会もあります。北タイの普通の村の様々な仕事を持つ家庭でのホームステイ経験は、子どもたちがこれから社会に出てゆく前に私たちが気付かされた問題点も多々あり、あらゆる面で子どもたちにとっても、そして私たち大人にとっても、本当に良い機会となりました。 真っ直ぐな想いが伝わって、ひょっとして年上女房の美人なフォンちゃんと、あの村で将来タンが暮らしているかも?!などと、想像するのはちょっと楽しいです。
2009年5月3日(日) 名前:小宮 陽之助 [2009/05/04,20:47:52] 『大人限定』 今日は、縫製場スタッフを中心とした大人だけのメンバーで、ホームの近くにあるオップカーンという国立公園に遊びに行ってきた。今日この日のために、縫製場のおばちゃんたちは皆揃って休みを取るほどの意気込み。しかも皆、午前中から出かけているという。僕も午後だけ休みをもらい、参加させてもらうことにした。オップカーンはホームの子どもたちが日帰りピクニックやキャンプによく行く、バーンロムサイの行楽定番スポットなのだが、子どもなしのピクニックというのはあまり例がない。今回は縫製場のおばちゃんたちがそれぞれ自分の旦那さんや家族を連れてきたりと、なかなか賑やかな集合になった。 早朝に雨が降っていたものの、昼過ぎにはすっかり良い天気に恵まれ、まさにピクニック日和。日曜日ということもあってか、河原はビニールシートを広げて団らんを楽しむ家族連れや団体でいっぱいであった。おばちゃんたちの準備の良さには目をみはるものがあり、ゴザやプラスチック皿、コップなどはいうまでもなく、氷で満タンのアイスボックス、調理用に持参したガスボンベや鍋釜に、数々の食材…とありとあらゆるピクニックグッズが揃えられていた。今回は「大人だけのピクニック」ということで、おばちゃんたちお手製のおかずをつまみながら、遠慮なくビールやウイスキーが次々と開けられ、なんともタイらしい呑気な酒盛りが始まった。 そして縫製場メンバーの宴会でのハイライトといえばラダーさん。ラダーさんはお酒が入ると人が変わったように饒舌でフレンドリーになる上、盃の勧め上手。普段、寡黙で大人しいイメージがあるラダーさんなだけに、その豹変ぶりはいつ見ても面白い。人格は180度変わるものの、いくら飲んでもケロッとしているラダーさんは、まさにザルの胃袋と肝臓の持ち主といえよう。今日もご多分に漏れず、ラダーさんはヒートアップ。場を大いに盛り上げてくれた。 バーンロムサイで働く楽しみの中で、子どもたちとの触れ合いはもちろんなのだが、それだけではなく、日本人を温かく迎え入れてくれるタイ人スタッフと、折に触れて感じる彼らの思いやりや優しさというのも大きい。毎日顔を合わせているタイ人スタッフたちだが、プライベートな時間を使って交流するこういった機会はなかなかないので、また是非「大人限定」の企画ができたらと思った。
2009年5月2日(土) 名前:馬場 容子 [2009/05/03,12:01:47] 『手仕事新メンバー』アレーが去った後、後任としてやってきたリス族のアジュ&アチャさん二人に加え、新たにモン族出身の2名ダーオ&ジェーンちゃんがバーンロムサイにやってきました。現在4名体制で、細かいビーズ付け、刺繍、裂き織などの手作業が絶え間なく動いています。ダーオとジェーンちゃんはまだ20代で、いつもジャージを着てまるで高校生のよう。バーンロムサイの子どもと間違えてしまいそうですが中身はとてもしっかりしています。いつも“ピー容子“と名前を付けてさわやかな挨拶をしてくれます。冷静な性格のダーオちゃんは、キットさんが先生となり今裁断を勉強中、おっとりした静かな性格(?)で手先が器用なジェーンちゃんは、裂き織と手作業担当。そして、以前西洋人のお手伝いをしていたアジュ&アチャさんは、お掃除がきれいにできるということでアチャさんはゲストハウスと手仕事担当。アジュさんはタイ語がよくわからないため、アチャさんにリス語⇔タイ語の通訳をしてもらいながら手仕事を進めています。タイ語、チェンマイ語、リス語、日本語の飛び交う縫製場で、ゲーさんが”come one! カモーン“と英語でアジュに指示して”何語を話していいかわからなくなっちゃった!“と言ってた姿がとてもおもしろかったです。バーンロムサイの細かい手作業がぐーんと早くなりました。
2009年5月1日(金) 名前:伊藤 美和 [2009/05/03,11:57:29] 『ナット』バーンロムサイに来てから一週間は、子どもたちはちびっこ組8名とナットだけ、という不思議な雰囲気のバーンロムサイだった。少ない人数のおかげ?で小さい子たちともたっぷり絵本を読み、絵を描いたり、工作をすることができた。そしてナットも昨日で学校の授業がひと段落したらしく、昼休みにたくさんおしゃべりをした。ナットは今高校一年生、16歳。新しい学校に移ったばかりで、いろいろと目新しいことも多そうだ。日本語を勉強しているナットとは、タイ語と日本語を交えて話す。本当は全部日本語で話した方が彼の勉強にもなるのだが、私も忘れかけているタイ語を練習するためにタイ語で話している。「前の学校は新しい棟が建って、教室にテレビが付いて、朝の朝礼で校長先生が挨拶をするときには、そのテレビも全部校長先生が話している画面に切り替わるんだ。しかも、防犯カメラもいろんなところに着いたんだよ。盗んだりする人がいなくなるようにね(!?)」というようなこととか、「前の学校は教室にいれば先生が来て授業をするけど、今度の学校は自分で教室に行かなきゃいけないから忙しいよ。」とか、「友達のお母さんに15歳くらいに見えるって、顔が子どもみたいだねって言われた。」などなど本当に嬉しそうに話してくれる。「今行きたい国は、韓国とイギリス。でもやっぱり一番行きたいのは日本だね」という。高校を卒業したら日本へ留学したいという夢を決して諦めていないナットの笑顔は爽やかで、晴れやかで、こちらまで嬉しくなるのだった。もしナットが本当に日本で勉強することになったら、元ボランティアスタッフやご支援下さっている方々が、どれだけ全力で、日本で安心して暮らせるようにサポートすることだろう、と思った。がんばれ!ナット!みんな待っているよ。『お知らせ』現在バーンロムサイ鎌倉店ではリネンフェアーを行っております。また、静岡の伊豆高原アートフェスティバルでチャリティ・ベアの販売をしているほか、愛知県と長崎県では明日より「バーンロムサイ展」を開催します。詳しくはHot news!をご覧下さい。
2009年4月30日(木) 名前:名取 美和 [2009/05/01,11:39:55] 『メイヤイのその後』先日(4月15日)の写真日記にメイヤイの事を書いたあと、気になりウェウ先生からメイヤイを引き取った叔母さんに電話をしてもらった。今、メイヤイは中学を中退しボーイフレンドとその家族と一緒に暮らしているとの事。何とも言えない喪失感とも落胆とも言えない気持ちになりましたが、叔母さんのもとで暮らせないなら自殺をするとまで言ったメイヤイの性格を考えると、それで幸せなら今は何も言うまいとの結論に達しました。国によって文化、習慣、暮らし方が違う。バーンロムサイのあるナンプレー村の子どもたちの中には中学にも行かず、働いている子どもたちも多くいる。山岳民族の人たちの中には親に決められた相手と若くして結婚する人たちも多くいる。日本のように結婚する人自体の数も減り、晩婚、少子化の傾向にある国もある。何人も妻を持ち大家族で暮らしている人たちもいる。だから何が良いの悪いのと言う話ではないし、本人がそれを幸せだと思えればそれで良いのだが、、、2003年9歳のメイヤイが叔母さんに引き取られたのは、バーンロムサイで性教育を始める前でした。叔母さんにくれぐれもその辺の事をその時期が来たらきちっとメイヤイに話をして欲しい、大変重要なことだとは伝えましたが、どこまでそれを実行してくれたか、、、、メイヤイのボーイフレンドは彼女の感染の事実を知っても動じなかったそうです。「愛しているからそんな事は関係ない」。好きであろうと、愛していようがHIVは感染する時は感染する。遅すぎなければ良いのだが、その辺の事を近々彼らに話に行った方が良いのか、、、、ボーイフレンドの家族もメイヤイを受け入れてくれている事は大変嬉しいことだけれども、あと数年先のことであったらもっと単純に喜べたのに。15歳で働き、家族をつくり暮らすことを否定はしません。でももしかしてまた勉強したくなることもあるかもしれません。そう言う時が来たら、教育支援を再開しようと思っています。それ以外に今私たちに出来ることは月々7000バーツの薬代を継続して支援してゆくことと、彼女が幸せで居てくれること、彼に感染をさせないで欲しいと祈るのみです。31人のバーンロムサイの子どもたち、、、、これからもいろいろなことが起きるでしょう、でも大切なのはやはり一人一人がどのような仕事でも良いのですがしっかりと手に職をつけ、自活できるようになってからバーンロムサイを巣立って欲しいとの思いが、ますます強くなりました。
2009年4月29日(水) 名前:鈴木 寛人 [2009/05/01,09:26:41] 『朝のお掃除』毎朝のオフィスの掃除は保母さんの担当なのだが、土日や学期休みなど子どもたちの学校が休みの時は何人かの子どもたちを手伝いに連れてくる保母さんが多い。手伝いにやってくるのはゴイやメイレック、プロイにスーワイなど大きな女の子たちがほとんどで、この学期休み中はアームとゴイが2人だけで掃除をしている日もあった。そんな大きな女の子たちがホームステイへ行ってしまってからは、オフィスに手伝いにやってくるメンバーがかなり小さくなった。レックさんやプーさんはホームに残る8人の小さな子たちに交代でモップがけをさせていたが、やはり小さな子たちのモップがけはお手伝いとは呼べないレベル。レックさんやプーさんは時間をかけて一人一人にモップのかけ方を教えていて、朝のお手伝いというよりは掃除の勉強会のようになっていた。プーさんなどは「大きな子たちがホームステイに行って、残る子どもが8人だけになるから楽になるかと思っていたら、ちょっと小さい子たちを見ててなどと頼める大きな子もいなく、余計大変になってしまったわ。」と笑っていた。昨日、今日とオフィスの掃除をしていたティムさんはジンダー一人を手伝いに連れて来ていた。ティムさんがジンダーはもう手伝いの人数に数えられると言うだけあって、ジンダーは大きな女の子達と変わらないぐらいしっかり手伝いをしていた。言われたことをしっかり手伝ってくれるプロイやスーワイを好むティムさんは新たな戦力を発見してうれしそうだった。これからジンダーが手伝いに呼ばれる機会も増えていくだろう。ホームステイはホームに残った子どもたちにとっても朝の掃除のように一人一人の子ども達に時間をかけてあげられるよい機会に、そしてティムさんにとってもジンダーのような新戦力発見のよい機会になったようだ。